実家との隔絶

実家のある小手指駅からの眺め ブログ

(アイキャッチ画像は所沢市小手指駅北口から見た街並み。この先の西友の向かいに実家がある)

※私の考えは主にFacebookに書いてきましたが、広く私の考えを伝えるため、このブロクを従来以上に活用していく予定です。

実家から荷物が届いた。
ほぼ毎月実家から食べ物が送られてくる。
母が作ったおかずやレトルト食品、いただきものの果物などだ。
53歳の息子にいまだに送ってくるが、あればありがたいのでそれはよい。

今日、一通の手紙が入っていた。

「孝ちゃんへお願いしたいことがあります。
聞いてください。
10月は、私と父ちゃんのたん生日なので、もう一度妙高へ行きたいね。
みんなんで温泉に宿りたいね、言ったらのんちゃん(注・妹)が
私の職場は三回ワクチン打った人としか接触してはいけないというきまりがあるので、ワクチンを打ってくれますか?
孝ちゃん入院した時どうしたの?
人間だれも自分は正しく生きていると思っている、でもちがうんじゃないと思う人もいるよね、人間十色だから、とに角人並に、おだやかに生きられればいいと思います
電話だとケンカになると思い手紙に書きました。
カーちゃんはケンカがきらいです。
二人きりの兄妹だから、仲よく残りの人生を生きてください
お願いします
                       母
みんなで赤倉の温泉に宿りたいね」

半分くらい読んで、封筒を半分に破って、手紙をクシャクシャに握って足でバンバン踏み潰した。
すぐに電話して「縁切ろうか?」と言った。

この2年間、電話のたびに今の日本は異常であることを話してきたつもりだ。
だからその異常なほうに自分を合わせるわけにいかない、政府に対して大人しく従うわけにはいかない、だからワクチンは打たないと何度も何度も話した。

今年で87歳になる母だが、2年前の秋妙高に遊びに来たとき以来2年弱顔は合わせていない。実家にも帰っていない。気な両親ではあるが、歳も歳である、息子に会いたいという気持ちはわかる。

では親のために、最後の親孝行?でワクチンを打つか?
答えはノーである。

ワクチンを打つということは、今井孝という存在が死ぬのと同じことだ。
小学生の頃から週4日塾に通い、中学受験をし早稲田中学に入り、早稲田大学にまで入れてもらった。親にはさんざんお金を使わせた。
それもこれも、ただ従順な大人になるためではなかったはずだ。
親がよかれと思った道を歩いた結果、大いなる反骨心を得た。
結果的に親に与えてもらった反骨心は、私の誇りである。

もしこれを読んだ人が、もういいじゃない、親のためならワクチンを打てば? なんて言おうものなら私のアイデンティティが崩壊し、リアルに死ぬことを選ぶだろう。
(おかしいのは俺じゃない、お前らだ)

電話を切って思った。
ん? ちょっと待て。
そもそも、妹の職場のルールがある以上、旅行はおろか私は実家に帰れないじゃないか。

再度電話をしてそのことを尋ねた。
母はわかっていて今まで言っていなかったのだ。
このお盆は帰省しようと思っていたが、それもなくなった。
私が帰る場所は日本がコロナ騒動を続けるなら、もうない。

しかし妹や職場を責めるつもりはまったくない。
妹は長く働いていた職場をやめざるを得なくなりようやく今の介護の仕事にありつけた。幸いにも今年に入って社員にもしてもらえた。
その職場がこのようなルールを決めるのは自由だし、それを私が否定する筋合いはない。
だからこそ逆に、何人たりとも私の思想信条を侵す筋合いもないのだ。

ぶっちゃけ妹は来ないで親だけ新幹線で来りゃいいんじゃないの?と思うが、なぜかその発想にはならないようだ。私抜きで三人で行くしかないみたいなことを言っていた。
私に会わないのなら、別にわざわざ妙高じゃなくても那須でも日光でも箱根でも伊豆でもいいような気がするのだが…。

まあ、今日あった話は以上だ。
こんなことで親には死ぬまで会えないことになるかもしれない。
それを考えると、2年前、コロナ禍の真っ最中で親の死に目はおろか、どれが親の遺灰やらわからなかった人たちがいたことがいかに異常か。

この国は狂っている。
多分、この後、もっともっと狂っていく。
しかし世間は私のようなものを狂人と言うのだろう。
(おわり)

(2024/4/11追記) この文章を書いたときは頭に血がのぼっているのでえらい剣幕でしたが、このあとのオチはヒマなとき書きます。 ネットで親を大事にしろと書かれたなあ。

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