はじめに
7月25日。
前回の記事を書き終えた私は、急ぎ足で直江津へ向かった。
ライオン像のある館(上越市文化財/旧直江津銀行)で開催されている、友人である地元写真家、寺尾昭人さんの個展「熱い夏写心展」を見に行くためである。
夏の上越の景色は雄大で色鮮やかでちょっと切ない。
この街に住んでよかったと思わせる魅力を十分に感じた写真(心)展であった。
さて、前回は新自由主義経済が地方を呑み込んでいく現実について紹介した。
今回は「なおえつ うみまちアート」の顔である「アート」「芸術」そのものの観点から、「なぜ故郷に愛着があるのに地元のアーティストを愛せないのか」ということを論じていく。
その郷土愛はホンモノなのか
地方はまずカタカナ職業に弱い
私が書いた上越タウンジャーナルのコメントに対して、もらった返信の中で一番引っかかったのが以下の部分だ。
直江津のために参加協力していただいた方は有名芸術大出身の方ばかりですが、それが選任に問題ありだとすれば、貴殿はそれだけの人を市内でご存じなんでしょうね?
正直呆れてしまった。
地方というものは、ここまで権威に弱いのか。
「なおえつ うみまちアート」の公式ホームページを見てみた。
東京都出身の鈴木潤子さんという「キュレーター」のもと、8組のアーティストが参加する予定だ。キュレーターとは美術館や博物館で展覧会の企画、人選など、プロデュースをする役割らしい。
無印良品有楽町店のギャラリースペースATELIER MUJI、2019年4月にオープンした無印良品銀座6階ATELIER MUJI GINZAにてシニアキュレーターとして10年間で50件以上の展覧会とその関連イベントを企画運営した。
なおえつ うみまちアート 公式ホームページ
要するに今回のうみまちアートは、良品計画お抱えのキュレーターと彼女が選んだアーティストによる、直江津を舞台に「地域活性化」の味付けをしたアートフェスというわけだ。
この「キュレーター」というカタカナ職業が曲者だ。
地方創生、まちづくりというと、東京からコンサルタントはもちろん、コーディネーターとかインキュベーターとか、横文字の肩書を持つ伝道師が持たざる地方の民を導こうと次から次へとやってくる。
言葉の意味はわからないがとにかくすごい人たちなのだろう、というのが受け入れる地方側の正直な気持ちなのではなかろうか。彼らはそう思われるためにわざわざそういう肩書きでやってくるというのに。
地方にとって、東京の権威は眩しいようだ。
地元アーティストを愛せないというコンプレックス
そのキュレーターが選んだ8組のアーティストが上越にやってくる。
経歴をみると、東京藝術大学に始まり日本大学芸術学部、愛知県立芸術大学、静岡文化芸術大学といった芸術大学を出ている人たちの名前が挙がっている。経歴に学歴が書かれていない方もいるが、もちろん芸術家が芸大卒である必要はない。
先に引用した返信をもう一度見てみよう。
直江津のために参加協力していただいた方は有名芸術大出身の方ばかりですが、それが選任に問題ありだとすれば、貴殿はそれだけの人を市内でご存じなんでしょうね?
ここから受けるのは、自分の故郷、地元上越は劣っているという卑屈な感情だ。
この文章に表れているのは、有名芸術大学を特別な権威と感じている心理であり、そこから導き出されるのは有名芸術大学出身者ほどのアーティストは地元にはいないという先入観だ。
「それだけの人を市内でご存じなんでしょうね?」という言葉には、「直江津のために良品計画が招いてくれたアーティスト以上の権威がいていいわけがない」「もし地元にいたとしてもお前(今井)ごときが知るくらいなら今回選ばれたアーティストほどの権威ではないだろう?」という挑発が込められている。
この感情はまったくの錯覚、勘違いなのだが、テレビから垂れ流される東京中心の価値観に長年毒されていればこのような考えになるのはある意味仕方がない。テレビは意図してそのようにしているのだから。
ありがちな東京への憧れ。
よく耳にする「上越には何もないから」という自虐と諦めの言葉。
若者が言うならともかく、このような感情を持ったままそれなりの年齢になってしまったなら悲しいことだ。
上越市にも、画家、彫刻家、陶芸家、写真家、音楽家、書家、多くの芸術家と呼べる人がいることだろう。私の友人にもいる。
そういう人たちに光を当てることもなく、ただ東京から与えられたアーティストをありがたがることは、地方のコンプレックスを表していると言っていい。
郷土愛と言いながら、全然自分の故郷を愛していない。
このアンビバレントな、つまり、愛しているけど実は嫌いという複雑な感情が、いくら「地方創生」と掛け声をかけても創生も活性化もしない本当の理由なのだと私は思う。
芸術は高尚であるという勘違い
ここまで話してきた地方の複雑な感情の原因になっているのが「よくわからないもの」に対する畏怖である。この畏怖すること自体は素朴な感情で、決して悪いことではない。問題はその先だ。
バンクシー(Banksy)というイギリスを拠点とする匿名のアーティストがいる。
街中の壁などに、いつの間にか「ステンシルアートと呼ばれる、型紙を用いたグラフィティ(Wikipediaによる)」を描き残す。
多くの人が芸術であると持ち上げる一方、他人の敷地に無断で絵を描く犯罪であり、落書きであると言う人たちもいる。私もあれを芸術であるとは思っていない。
しかし、特に現代アートのようなどのようにでも解釈ができ意味がよくわからないものについては、わかった気になること、わかった風でいることが高尚であると思っている人がいるのも事実だろう。
映画はわかりやすい。難解な文芸的哲学的作品は高尚で、アクション映画やホラー映画を低俗だと思っている人はそれなりにいることだろう。
音楽も一緒だ。
私が高校生のころ、グスタフ・マーラーの交響曲をいかにもわかったかのように愛好している同級生がいた。ほかにも、やれどの指揮者のいつの演奏がいいだの、やれストラディバリウスの音色がどうだのと、そういう話になっていく人たちが必ずいる。
あくまで個人的な考えだが、芸術を高尚だと考えると、見えるはずのものが見えなくなる。
このように差別やレッテル貼り、特別扱いをした瞬間に、すべての芸術は自らの首を締めてしまうのだと思う。
無理にわからないものをわかったフリするのはやめにしよう。
上越を見限った芸術家の話
最後にやはり書いておきたい。
当時の高田市、南本町出身の画家、富岡惣一郎のことだ。
彼の絵画作品はご存知のとおり「トミオカホワイト」と呼ばれる。
その白い景色はどこの景色だろうか。
トミオカホワイト美術館のホームページに、惣一郎の言葉が書かれている。
私の「白の世界」とは、私の雪国に対する望郷の精神がベースにあって、雪国の旅、巡礼を通して白の不思議な美を発見し表現することでした。
私は、雪深い越後に生まれました。
望郷の精神とは、もちろん上越、高田の雪景色であろう。
しかし、トミオカホワイト美術館はなぜ惣一郎の故郷である上越市ではなく南魚沼市にあるのか。
これが上越市民の、地元アーティストに対する態度を象徴していると私は考えている。
地元上越市民は惣一郎と惣一郎の絵を大切にしなかった。
外に対する卑屈な感情、憧れのあまり内に目を向けず、結果、内には何も残らない。
この危機感が「なおえつ うみまちアート」を批判する最大の理由のもうひとつである。
足下に小さく咲いている美しい花を踏みつけてはいないか、私達上越市民全員が一度よく考えるべきだろう。
いかがだったろうか。
ここまで
・新自由主義経済が地方を呑み込んでいく現実
・郷土愛とは裏腹に地元のアーティストを愛せない心理
について述べてきた。
今回の「なおえつ うみまちアート」はその政治的「構造」のおかげで、上越市民が考え議論する機会を与えてくれた。
次回以降は今回のイベントでも浮き彫りになった、上越市が抱え続けている問題について考えていきたい。また地元上越の現代アーティストである堀川紀夫さんとのやりとりも可能であれば紹介してみたい。
「うみまちアート」そのものについても、市に再度確認したことなどがあれば書いていくので今後もぜひお読みいただければと思う。
追記
「何の権威もない」市井の一人である私の意見は聞けないという方は、ぜひこちらを読まれることをお勧めする。
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